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ちょうすけのがははは日記

心のたび・・。(画像付き)

 心のたび・・。
 こん〇〇は!!ちょうすけです。
 ↓こころに闇があっても ライトでてらしていけば がんばれるぞい!!(TT-R白黒風な画像)
ライトオンBW  むかしは なんの悩みもなく(おさないときには 貧乏が原因で いじめられてましたけど 負けませんでしたが) ただひたすら むかしは勉強・・。そして仕事としてきました。(ろくに勉強しませんでしたが、田舎の高知では結構成績がよかったので 馬鹿なんで調子にのって よけいに勉強しなかったもので そのころは試験問題がある程度みえてましたから・・。高校受験・・〇松の会社の企業内学校でしたが・・。ろくに勉強しなかったのですが内申書重視でしたので・・競争率はたかかったのに・・なぜか合格してしまい・・、担任のおんな先生があきれてました・・。結局、高松にいってから学力差を痛感するのですけど・・。最初の実力テストは ほとんど どべに ちかかったですから・・。ま、香川で中学の実力テストトップとかいうつわものが同学年にいましたから・・。なんで こんなとこに こいつ・・くんの???って不思議でした・・。(かれは結局・・入社後何年かして退職してタクシーの運転手さんになったらしい・・です)卒業前には上位にいましたけど・・その頭のいいの〇〇君には 勝てませんでしたね。)
 あるとき 仕事で むりなことは わかってたので作業の指揮者にできません・っと きっぱりことわったのですが・・再度やれっ・・やらないとこまるってことで 結果は 自分では わかっていましたが 覚悟をきめて 実施したら あまりの果汁でなくて過重に背骨が悲鳴をあけで 骨がつぶれてしまいました・・。つぶれていく音がなんとも・・。
 それで そのまま やめてしまうと あとがすすまないので 気力をふりしぼって 次の作業ができるようにさらに移動して その場からしにそうになっておりてきて 車の中で激痛とたたかってました・・。結局なおるはずもないので病院に行ってレントゲンをとりましたら しっかり骨がつぶれてましたけど・・。生まれつきじゃ・・と先生にはいわれてしまい・・絶句・・(馬鹿かこいつ・・)。すぐに入院をすすめられましたけど 土日もあったので休暇もいれて一週間 家でしんでました・・。結局出向してたこともあり労災にはしなかったのですが・・。あとで考えたら労災にしとけばよかったと思います。ま、そんときは自分のことより職場のことばかり考えてましたから・・。
 それまで 体だけは 自身がありましたので 車を持ち上げたりするのも平気でした・・。パワーは ばけもんとかいわれてましたねー。ま、上にはうえがいますけどね。
 そんななことで 自分の体の限界はある程度わかっていたので 指示にもはっきりと拒否したのですが・・。
 結局、その後 腰に片側によけいにストレスがかかってましたので 疲れがくると足にきたり・・ひざにきたり・・。と大変でした・・。膝にくるとあるくことが出来なくなるので・・、仕事場が二階で階段しかないときは 悲惨でした・・。安静にしてろっていわれても どうしても忙しくてはいもって仕事場にいってました。
 いまでは 現場に出る機会も以前ほどは なくなってきましたけど当直とか事故のときは現場にでます・・。
 腰をこわしてから・・むかしのように無理ができなくなってしまって・・。精神的にも よわくなってしまって・・しばらくいろんな葛藤がありました・・。それまでは 作業の指導者として後輩達に率先してみずからがどんどんやっていたのですが・・、実際上それができなくなってしまったので 自分の中で どうしていいかわからず・・。生き方を急にかえろといわれても 不器用な人間ですから・・なかなか・・ねー。
 腰がこわれてから・・・無敵のような××もすっかりこわくてできなくなりました・・ねー。・・・ということでほぼ10年ぐらいは ぜんぜんつかってなかったですねー・・。少し前からリハリビ中ですけど・・、がははは。いまだに持〇力は 鬼のようですが・・。
 走行でなくて そうこうしてるうちに現場でなくて営業のほうにいかないかってことで 背広をきて営業マンとして販売活動をするように(出向先で)なりました・・。
 通信業界でして 初めて接する会社でしたが いろんなことが勉強になって楽しい反面なんでもひとりでしないといけないので 結構大変でした。基本的には 高知県下をひとりで・・ですからねー。がははは。んでもって 会社の名前はしられていないので 門前払い・・名刺は ほうられる(いらんといって目の前でなげすてられたことも よくありました)し・・。罵声もあびせられるし・・。別に悪い話しをしにいってるわけでもないのですが・・。きいてもらえば お客様がたいへん便利に経済的にもメリット大のはなしなんですけどね。がははは。
 毎日22時過ぎて夜中すぎてもかえれないときが結構ありましたね・・。さすがにそれぐらいになると だれも残っていませんでしたけどね。
 そういうことを繰り返してまして・・。少し前に 注意しといてねっといわれてたのが あったのですが 忙しくて病院にいかなかったのですが・・。 またまた、出向が解除になりまして元の会社にもどってきまして・・、PHSの販売専従チームに配属・・。これまた 県下を上司とわたしのふたりで営業です・・。これもきつかったですけど またまた しらないところに飛び込みで営業したり結構おもしろかったですね。ま、ぼろぼろにいわれましたけどね。鬼のようにはしりまわってました・・。
 ある日検診でひっかかって精密検査をしましたら・・どうも〇〇だとのこと・・。エー・・うそやん・・まじー・・って感じでした。細胞をとって某所で調べての結果をきくと×性・・で・・。とほほほ・・。
 早期なので うまくいけば簡単な手術でなおるってことで・・。すぐに入院・・。    つれがくる前に手術がはじまって おわって車椅子ででてきたときに やっとつれが到着してました・・。なにかあったらどうすんの・・って ひとりどきどきしてましたが・・。
 手術は 成功で その後 何年かたちましたけど・・五年はしないとなおったことには ならないそうで 維持でも五年はいきてやるんでー・・と・・他には あんまし欲はないのですが それだけは なんとかしたいねーっておもってます・・。あと二年??になったかな・・。
 隊員でなくて退院したばかりのときに 親父が入院・・。血尿がでたとかで・・。
あらあら・・、人に相談もせずに・・なんでや・・って 思ってました。  親父は わたしが幼いときからお酒のみまくりで のんでは あばれ・・あばれては飲んでって感じでした。アルコール依存症に完全になってました・・。
 だもんで 暴れ方もひどかったですね・・。ものは飛んでくるのは あたりまえでしたから・・。中学時代は 意味もなくわたしが毎日なぐられてましたね。なにもわるいことはしてないのですけど・・ね。わたしも親に手をだしたら おわりだって思ってましたから 最後まで がまんしてましたけど・・そういうのもあって県外にでようと思ったわけですね。にげるなって いわれたら それまでですけど そのままいたら親殺しになるかもしれませんでしたから・・ね。
 そんな親父でしたが ずいぶん前に鉄格子のない病院の断酒会にはいりまして・・きっぱりとアルコールは やめてました・・。大工の棟梁だった親父もめがわるくなり足腰もわるくなり・・大工は やめて 某石油会社の夜間の当直をしてました・・。血圧がたかいので 何度か脳梗塞でたおれて・・また 復活して 仕事はあぶないので 無職で家でおふくろと一緒に散歩したりしてました・・。
 そんな親父が 入院したんです・・ね。 それが わたしが 入院せんといかんかな・・っていってるときでした。 親父には わたしの病気のことは まったくいってませんでした・・。ちょっとつかれがたまってね・・ってぐらいで・・。
 親父のほうは 深刻で 既に転移しているので 無理です・・とのこと。わたしは 本人にいったほうがいいっていったのですが 他のみんなが 告知しないってことで 本人には告げないことに・・。先生は 半年もたないっていってました・・。
 そして・・、私が退院して・・すぐに 今度は 転勤・・。移動でいままでいったことのない中村に・・・。
 そして・・引継ぎのために うまれて初めて中村駅をおりた・・とき・・に・・不幸な電話が・・。(つづきは また あとで・・。)
(byちょうすけ)


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